水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

エゴン・シーレ展

 上野公園内にある東京都美術館で開催されていたエゴン・シーレ展(2023.1.26-4.9)を見に行きました。期しくも以前開催されたグスタフ・クリムト展と同じ美術館でした。「ウイーンが生んだ若き天才」と題された展覧会で、会場は14のテーマでそれぞれ区切られ、そのテーマに合わせてシーレと同時期に活躍したウイーンの画家たちの作品も含めての展覧会でした。

 会場はテーマに合わせて14室(14章)に分けられ展示されていました。14章は以下の通りです。①エゴン・シーレ;ウイーンが生んだ若き天才、②ウイーン1900 グスタフ・クリムトとリングシュトラーセ(

環状道路)、③ウイーン分離派の結成、④クリムトとウイーンの風景画、⑤コロマン・モーザー 万能の芸術家、⑥リヒャルト・ゲルストル 表現主義の先駆者、⑦エゴン・シーレ アイデンティティーの探求、⑧エゴン・シーレ 女性像、⑨エゴン・シーレ 風景画、➉オスカー・ココシュカ 野生の王、⑪エゴン・シーレと新芸術集団の仲間たち、⑫ウイーンのサロン文化とパトロン、⑬エゴン・シーレ 裸体、⑭エゴン・シーレ 新たな表現、早すぎる死

の14室でした。

  シーレは若くして亡くなっていますが(28歳)、家庭的には落ち着いた普通の家庭の出のように感じました(父方は根っからの鉄道マン家庭、母方も中産階級の家庭のようです)。20世紀の初頭ウイーンを中心に絵の勉強(ウイーン美術アカデミー;同時期にドイツのA・ヒットラーも受験し不合格)しますが失望し、後に職工のグスタフ・クリムト(世界的に有名な画家)の弟子として絵画に没頭しています。24歳で結婚しますが、折からの世界第一次大戦に出征、帰国後、奥さんが子供を身ごもったまま、当時世界で大流行したスペイン風邪により死去、彼も同じスペイン風邪に罹り1か月後に亡くなっています(享年28歳)。2020年、100年後のこの時、計らずも同じヴィールスの病が流行する時に、この展覧会は何か因縁を感じました。

 

 20世紀初頭、10代後半で仲間と共に風景や草花を描き、20歳代には次第に自身のアイデンティティーを探し人物を通しての表現になり(ホオズキの実のある自画像;1912)その後、女性像(裸婦)を多く書くようになっています。これは人間の内面を、より明確に表すため衣服をまとわず素の人間(裸の人間像)を描くことを目指したのではと感じました。彼の描くデッサンにおけるモデルの身体の線に画家としてのセンスと技量を見る事が出来ました。

 若い頃、自分の画廊に少女や女の人を招き、描いていたことが周囲から好奇の目で見られアトリエを移さざるを得なくなったことも絵の表現に影響したのかもしれません。

 裸の人間を描くことは、体の線を的確に表さなければならない点で技量が素直に表れることだと思います。その点で、シーレの裸婦の素描には浮世絵に通じる「線」の重要性が見て取れます。1917年制作の「横たわる女」は大変エロティックな構図、複雑な身体や衣服の線、衣服の青色に強い印象を受けました。2019.4.24-8.5に開催されたクリムト・シーレ展で、有名なクリムトの「接吻」を見た時を思い出し、ウイーンのレオポルド美術館へ行った気になりました。