水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

海外雑誌での研究  19-2

1)Zwei Jahre LIFE-Projekt Wiesenvoegel NRW  ;  Projektbausteine und erste Umsetzungen

  ノルトランウエストワーレン州における湿地鳥類;Lifeプロジェクト2年・調査の基盤と最初の変化  

  著者: Ina Bruening他1名、 連絡先:  ina.bruening@lanuv.nrw.de

       写真11枚 図2枚

  この報告はNRW州に広がるシギ類の鳥類保護地域、湿性牧野、湿地、湿原の保全、再生について述べています。LIFEープロジェクト(草地棲息繁殖鳥類プロジェクト)は2020年秋にスタートしました。このプロジェクトは欧州委員会EU-Kommission)とNRW州が推進し、湿性牧野、湿性草地で生息・営巣・繁殖する鳥類の保護・保全状況をより良くするためのものです。ここ数十年の間に北ドイツ低地にある、この種の生息地である湿性草地は、大面積にわたって消失しています。NRW州北部低地に数多くある欧州鳥類保護地域はより高く評価されてきており、最初の保護指針(Massnahmen)が近く実行に移されます。

 この指針は2020年にスタートし2027年まで、州内の8ヵ所の欧州鳥類保護地域で続きます。対象鳥類はガン・カモ科、各種シギ類、カササギ類、干潟に生息する鳥類などです。

対応する各種の施策は、

1) 用地買収 2)水利施策による水収支最適化(水面確保、水位調整のため)3)粗放的牧野利用の拡大 4)卵保護に関しての関連部局の連携構築 5)卵保護のための措置、狩猟によるキツネ・アライグマなど卵を狙う動物の排除、6)種減少の情報と公開 などです。

棲息する草地の管理で、草丈が高くならないように、平坦な場所や広い低草丈地、湿地、水辺の維持が重要です。保護地8地区の内に29ヵ所の施策対象地のほか、42ヵ所の水辺を再生、7,635mに及ぶ長い水路と水辺、15,890mに及ぶ長い接続水路を生み出しています。

同時に11カ所の小規模水辺、75ヵ所の池畔を設けています。施策の中では水位調節でソーラーエネルギを使ったり、牧野の中の樹木を取り除いたり、キツネやアライグマ対策の電柵を設けたり、必要な場合には狩猟専門家により狩猟をしたり、草地創出では地元種を用いたりし、2021年の報告では1600ha、21の施策が8地区の保護地内で行われています。

 捕食動物管理については目下特段の解決方法は無く、キツネ、アライグマ、イノシシなどによる雛の被害は明らかではありません。LIFE-プロジェクトでは主要繁殖地でのキツネ、アライグマに対する電気柵使用での方法しか挙げられていません。

 タゲリの仲間(Kiebitz:Vanellus vanellus)やシギ類の保護については関係部局の協働がLIFE-プロジェクトの中で強く望まれています。同時に各種のモニタリングの必要性も指摘されており、湿性牧野の所有者(農家)への指導、繁殖期の利用制限などが必要です。

 モニタリングでは、タゲリの仲間(Kiebitz:Vanellus vanellus)やシギ類の保護に当たってこのプロジェクトでは繁殖期、繁殖地の巣に150台のカメラが設置されました。調査開始年(2020)には、柵を設置して孵化の効果があり、シギ類では91%(柵なし44%)、タゲリの仲間では100%(無し53%)の効果が示されています。野鳥の休憩地としての年2回の調査(春2-3月、夏8-9月;シギ類、ガンカモ類調査)でもよい結果が得られています。

 最初の年に地域改修事業が、リッペ川畔(ゾエースト郡;ハムーリッペシュタット)の鳥類保護地区(40ha)で行われました。河畔の低湿地農地の土手を切り開き(5ヵ所)リッペ川増水による水が滞水(40日滞水)し、自然の湿性牧野となります。その中では、3ヵ所の水深が浅い浅水地を再生、9000㌧の土砂の移動(浚渫、盛土)がされました。次の年にはガンカモ類の休息地となり10種以上のカモ類、16種以上の干潟鳥類が訪れています。タゲリやセキレイの仲間、カモ類は繁殖地となっています。同時に両生類、トンボ類の生息地にもなっていますし、植生的にも湿性植物、河畔・水辺植物の生育地となっています。牧野としては6月から営巣繫殖終了まで刈り取り管理され、他の半年は放牧牧野で利用されます。

 シュタインホルスト低湿自然保護地区ではLIFE-プロジェクトの下で2022年冬季に生息域最適化改修(Lebensraumoptimierung)が実施されました。既にこの河川流域では1970年から1980年頃までに洪水対策として遊水池の整備が行われ、80haの河畔湿地が作られ(砂利の島、浅水域、湿性牧野、土手など含む)30年に及ぶ両生類や河畔植生の保護地でもあり、現在でも7500㎡低湿地はカモ類や水辺鳥類の生息地です。

■;この報告では、自然復元・保護に関わる関連部局、団体、個人のプログラム参加への理解と着実かつ息の長い活動の重要性が分かります。ともすると1機関、1部局の施策、事業、対策で終始しそうな(日本では今日もまだその域をでない)状況をいち早く協働で推進し着実にデータを収集し、これまでの施工手順、技術、結果を検討し、新たな今日的プロジェクト、広域圏(国際的、地球規模的)対応を生み出し進めてきています。国際化、地球的規模の時代として、国、州のあるべき姿を考えさせられる事例です(勝野)。

 

 

2)Eine neue Muendung fuer die Emscher ; Ein wesentlicher Baustein zur Entwicklung   der Emscher   

  エムシャー川の新たな合流域 ;エムシャー川発展に関する重要な要素

  著者: Mechthild Semrau他2名、連絡先: semrau.mechthild@eglv.de

  写真4枚 図1枚

 ルール工業地帯を東西に流れるエムシャー川の河口、ライン川との合流域の河川改修・自然再生についての報告です。この改修合流域は2022年11月初めに完成・公開されています。それに先立つ1年前(2021年末)にマイルストーン(距離標)が設置され1年後の完成でした。ここに至るまでの歴史で見ればエムシャー川流域は、ルール地域の石炭採掘、工業用地、住宅群などで一大工業地域となり(凡そ180年の歩みで、19世紀には重工業地域に発達)エムシャー川流域は洪水対策(河川氾濫、浸水など)が問題化、1899年にはエムシャー川河川組合(Emschergenossenschaft)が発足、問題の解決に当たりました。炭鉱・鉱山は北部に向かって地中深く進み、同時に工場排水が問題化、1980年代後半には排水路が設けられ、1991年に同組合はエムシャー川の水システムの大々的な改変(空間的対応=水質浄化場、排水路新設などの整備)を行って来ています。この全体整備にこれまで5.5千万ユーロかけてきています。

 ここでの合流域整備には流域圏での生態的視点が主要となっています。水利、土木工学と生態的技術の適合を計り、河川水利と生態的技術の融合を図って、地域且つ欧州の代表的河川合流域改修を目指しています。この地は国際河川ライン川下流域にあたり自然資源価値の高い動植物の生息・成育が見られる地区です。

次の4項目が「エムシャー川将来のマスタープラン」として生態的転換が計られています。

1)可能な限りの生態的重要性を具体的に表現

2)関連施設地区、保留地区の整備・確保

3)流域における周辺中小河川合流域河畔、

4)流域の住宅地区低湿地、湿地ビオトープの確保(雨水・浄化水・地下水など)貯留

 

 流域の秩序化と同時にライン川との最終合流域(デュイスブルク市)は整備の最重要地点です。以前の合流地点に隣接した水辺500m、20haに及ぶ合流域。水位差6m(エムシャー川とライン川)があり、年間113日ほどで水位変動(洪水)が起こり、ライン・エムシャー間の生物の棲息、生き物の遡上、移動、ネットワークの重要性が求められました。そのための河道、水際、河畔の設計、デザインには低湿地、合流域、洪水対策、沈砂池などの要因と生態的対応が求められました(添付図参照;航空写真と平面図)。

 2022年11月から合流域の河川が開通し両水系の生き物の往来が始まり、下流域の各種の魚類(5種)、動物性ベントス、新たに魚・4種がエムシャー川棲息魚になっています。

この新たに生まれた合流域は自然保護(湿地、河畔植生、水移変動帯植物など)と同時にレクリエーション(サイクリング、ハイキング、散策、自然観察、釣りなど)の対象地でもあり、エムシャー川河川協会と自然保護協会、生物センター(Wesel、Rangern両市)、ルール地方協議会(RVR)が協働して利用・管理などモニタリングを進めることが必要となります。

■;国際河川(ライン川)と広大な流域を持つエムシャー川の合流域再整備は、大規模な自然再生事業(インフラ整備)であり、地球温暖化生物多様性が求められる今日において生態的視点による大規模工事です。この事業計画に河川担当部局のみでなく多角的、多面的視点からの事業実施が進められました。単なる河川の防災拠点整備(洪水調節)だけでなく多様な視点(関連する多くの部局の総合的整備)特に生態系や自然環境を重視した公共大事業の21世紀、先進国の事例として傾注に値すると思います。

 自然条件や置かれた国際環境、自然環境の違いは大きいですが、将来に向けた公共事業の在り方として、その方向性や政策的、行政的対応の事例として注目する必要があると思います。実際の現場での状況(出来上がった当初の姿、その後の変遷)を見てみたいと思いました。現場事例;河川の自然再生事業視察のチャンスは無いでしょうかね? 

(勝野)。

 

3)Mikroplastik in gestauten Gewaessern in Nordrhein-Westfahlen ;  Ergebnisse aus   dem Projekt MikroPlaTaS   

  NRW州における河川堰止め地のマイクロプラスティック;マイクロプラスティックプロジェクトの結果

  著者:Katrin Wendt-Potthoff他2名、連絡先:katrin.wendt-pottfoff@ufz.de

  写真2枚 図2枚 表1枚

 最近の生活様式や生活物資の変化、食・居住の在り方の変化により近年、特に都市内を流れる河川、広い居住地域を流れる河川を通してのマイクロプラスティック(MP)、その素材の拡大は目に見えにくいだけ余計に深刻な環境変化、破壊の要素となって来ています。

 この報告はドイツの2018年調査の事例でエムシャー川(371km)、リッペ川(220km)の貯留堰周辺3地点(2カ所/地点)での調査結果です。3か所でのマイクロプラスティックの種類、組成、量についての報告です。1m3の排水を汲み、500-100ミクロンのフィルターで採取しています。3地点(6ヵ所)のMPの組成ではポリエチレン、ポリスチロール、ポリプロピレンが主要です。

その99%は排水(家庭排水、事業所排水など)を通して流れ込んできていました。他にリッペ川の汚水処理場での結果1m3の組成と貝1個を通しての量が表示されています。

 

■ 河川水に含まれるマイクロプラスティックの量の把握や危険性は、近年、食物連鎖の関係で海産物、海で生息する生物に因るものが多いのですが、ドイツでは身近な河川水での状況調査、現状把握が最近進められてきています (勝野)。

 

4)Botanischer Gaerten als Arche Noah  ; Ex-situ-Artenschutz am Beispiel des Zarten   Gauchheils (Lysimachia tenella)

  Arche Noahとしての植物園  Zarten Gauchheilsを事例とした種保護

   著者: Jennifer Michel   連絡先:  jennifer.michel@uliege.de

 写真8枚 図2枚 表1枚

 天然記念物クラスの植物、環境省のレッドリストで絶滅危惧種に指定される植物が現地で生育する場合(in-situ)、その種を植物園などで保護・保存し増殖・育成する場合(ex- situ)があるようです。ドイツでのZarten  Gauchheils(Lysimachia tenella);プリムラ属(primulaceae)は、絶滅危惧種(絶滅寸前1A、絶滅危機1B)で南西ドイツB-W州地方のライン川畔)とライン川下流、NRW州パーデルボーン郡の自然保護地(極めて特殊で希少な立地条件下)に分布・成育しているだけです。現地での保護が難しく2009年8月国際植物交換ナンバー;IPENのDE-1-DUESS-3420の指定番号を取ってデュイスブルク市植物園に運ばれ、詳細な生育条件のもと色々な試験の下で成育調査が進められていますし、一方で遺伝子調査(遺伝子操作や遺伝子組み換え)の試みもされています。

 

■ 絶滅危惧種の保存について、種の採取、移動について厳しい管理の下で行われ、その結果、成果が試されると同時に現地(自然保護地区)での厳格な保護・保全が植物園、ホゴゼンターなどで進められていることが分かります(勝野)。

 

5)Flora im oestlichen Sauerland   Sauerland ; Was hat sich im 15 Jahrenan der Flora im   Untersuchungsgebiet  

      ザウアーランド東部の植物種 ;調査地区における15年間でどのように変化したか

  著者: Richard Goette   連絡先: richard-goette@t-online.de

  写真9枚 図12枚

「ザウアーランド東部地域に生育する植物」が出版されて15年後、同じ地域の植生について、「Hochsauerland郡、自然と野鳥協会」が調査し、その第2版が出されました。その中では、同地域の15年後の植生の変化、景観の変化が捉えられ、どのように移り変わってきたかを示しています。

ここで取り上げられている植物21種について、個々に生育状況、15年間の動き、変化の様態を分布図と合わせ明らかにしています。 21種の内訳は、気候変動・温暖化により変わった種(4)、園芸種が逸出したもの(4)、畑の縁辺部プログラムに因る種(3)、新たに加わった種(3)、外来種の播種により拡大した種(1)、集約的拡大した種(3)、戻ってきた種(3)です。 

■ 地域の植物の変化を長い期間かけ地道な調査、継続的調査で明らかにしており興味ある報告です。普通なら見過ごされてしまう「種」の動態を刊行物(本・テキスト)として纏められることは重要なことです(勝野)。

 

   

 

 

 

 

花は誰のもの、街の花は誰がどうするの?


 いよいよ風薫る五月、ゴールデンウイークが始まります。今年は季節の移り変わりが地球温暖化との関係か、10日か2週間早く変わって来るようで、春を告げる桜前線も日本を縦断するのが早かったようで、全国各地で見ごろが早い展開に驚いていました。

 全体がこのように普段の年より早く移り変わってきて、躑躅ツツジ)や皐月も同様、各地の開花の名所(庭園や公園など;良く知られている根津神社や箱根の某ホテル庭園など)でも同様の動きのようですね。ツツジ類の種類は自生種、園芸種、大変沢山あります。

生育地が名前についているものも少なくないですね。今、朝ドラで話題になっている牧野富太郎の植物図鑑を見てみます。ツツジ科の植物は、1809番のイソツツジから1875番のアクシバまで66種載っています。一般的なサツキツツジ、オオムラサキは記載されていますがハコネツツジ、キリシマツツジ、クルメツツジなどは「種」として記載されず、園芸種(ver.)としてサツキツツジ(略;サツキ:(Rhododendron indicum Sweet)で示されています。花の色や形で沢山のサツキがあるようです。

 

 家の近くや公園、街路などに多く見られるオオムラサキは、この時期に紅紫色、白やピンクの大ぶりの花を付け咲き誇っていますが、一般的に花木は花後剪定(刈り込んだ後)、新芽を伸ばした夏までの枝が熟す期間に次の年の花芽を付け大きくなり、翌春に見事な開花景観を作り出します。つまり、開花後の生け垣や株物の管理次第で翌春の花咲きが決まるのです。花木はこの花後剪定時期と方法が大切なのです。

 植木屋さん、造園業者や緑地計画者などは、このことを十分理解している(?)と思いますが。設計、計画。施工する人たちも当然、このことを知ったうえで計画しているはずです。

 

 家の近く、区センター街に続く街路の脇、ケヤキの街路樹の下に、このオオムラサキの低木植栽帯があります。ケヤキの萌える若葉色と調和して、薄緑色の葉の上に綺麗な紅紫色の絨毯を敷いたように見事に咲き誇っているオオクラサキ。見事な街路景観(花のロード)を見せています。 でも、その先を進むと・・・・・・・・

 低く刈り込まれて緑の葉が多い見通しの良い、枝の薄茶が目立つ同じオオムラサキがあります。ほんの少し申し訳なさそうに(頑張って)花を付けています。 

   どうして?  なぜ?  この対比は何?  (添付写真参照

 

 維持管理業務を出した区の管理者の意向? 作業を受けざるを得なかった管理業者のせい?

  でも同じ地区・場所・街路で数100mしか違わないのに? 道沿いに住んでる人はどう感じ、考えるでしょう。

花だけの問題ではありません。街路樹の樹形、枝ぶり。公園や河川に沿った住宅周りの樹木の枝も同じような取り扱いを受ける場合も少なくないのです。サクラやケヤキの枝、落ち葉、日陰などなど。 町の緑の充実を考え、実行して来ている専門家でもその答えには苦労します。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい顔、声  今・昔 (その3)

研究室50周年記念祝賀会が4月22日(土)午後、新横浜プリンスホテルで開催されました。懐かしく楽しい祝宴で、和やかに愉快に時のたつのを忘れて旧交を温めました。

 造園や環境に関する仕事に携わっている人達は、思いもかけない関係や近しい専門分野に驚いたり喜んだり。先輩後輩の関係から、次の仕事での関係と意欲に花が咲いたことでしょう。同じ研究室の卒業生でも、大学での身近な時間では分からなかったことが今になって(少し社会の仕組みや仕事の中身が分かって)お互い話しができるようになっているようです。 これは、研究室の同窓会や祝賀会の大切な役割ですね(喜)。

 

 卒業生の仲間は、仕事が直接、造園や環境に関係していなくても、日常の環境や自然に対する見方・考え方は大学生、研究室生の時代と同じ、日常を「緑」を通して見、聞きするうちに自ずから感じ、考えている自分達がいます。

 

 祝賀会のプログラムに「花束贈呈」がありました。コロナ大流行で延期に延期を重ねた(本当は令和2年秋;2020年)50周年祝賀会と本来、その祝賀会で退職・引退された先生方への感謝のセレモニーが行われる予定のものでした。島田先生、藤崎先生、赤木先生の3名の先生方がその人達でした(私も50周年記念という意味でその仲間に入れて頂きました)。 

 その花束は、それはそれは素晴らしい豪華絢爛な花束(大きさ、花の種類、色合い、デザイン=素晴らしい作品)でした。長さ1.5m、重さ3kg? 家まで持ち帰るのが大変でした。また、家に帰ってからも花を飾るスペース、器などとても1つで収まらず、仕方がなく色や種類で取り分けて家中に飾りました。その様子は添付の写真をご覧ください。

 

 会の幹事諸氏、企画をしてくださり花を調達、調整、デザインしてくださった卒業生の皆さんに心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

 今も美しく部屋を飾ってくれています。

 

懐かしい顔、声、 今・昔 (その2)  

 祝賀会から一夜が過ぎました。当日頂いた(交換した)名刺を整理しています。

 

 楽しい会話や卒業以来の対面を思い出しながら、一人一人の顔に時の移り変わりを感じています。人それぞれに卒業以来、来し方の楽しい思い出や人に言えない苦しみや辛さなどが錯綜して、とても短い時間の再会では話し尽くせないひと時でした。

 風貌は変わったのですが気持ちは、あの時、時代と変わっていません。話せば時は一瞬のうちに学生時代、研究室時代に戻っていきます。それもどういう訳か懐かしい、楽しい思い出ばかりが脳裏をかすめていきます。卒業以後、人それぞれにそれぞれの人生があって今現在があるのですが、この場(記念祝賀会)では、すべて遥か彼方の思い出だけが浮かんできます。 

皆、今日まで元気で頑張ってきましたね。そんな卒業生を褒めてあげたいと思いました。いろいろな事情で、今日のこの祝賀会に来れなかった卒業生の人たちにも次回は是非、話に来てくださいと思うことしきりです。

 

 祝賀会の集合写真(みどり会のHPに掲載されるでしょうが)から、皆さんの笑顔が素敵です。素人写真なので後列の方は小さくてゴメンナサイ。次回は前の方へ。

祝賀会の集合写真(新横浜プリンスホテル)

 

懐かしい顔、声 今・昔 (その1)

祝賀会の会場案内(新横浜プリンスホテル)


今、研究室創設50周年記念祝賀会から帰宅しました。

 大変嬉しく、懐かしく、楽しい午後のひと時でした。懐かしさのあまり、積もる話や昔の思い出話、今現在の姿等々。時間はあっという間、本当にあっという間に。話は尽きませんが、次から次へと卒業年度ごとで皆さんが周りに立って、話したい、挨拶したい、次は私達と、と待ってます。楽しく懐かしく嬉しい時間が経っていきます。時には学生時代と大きく様変わり、余りの姿替わりで名前も思い出せず、・・・・詰まっていると「私は〇〇です、と。えっ!!  名前思い出せずにゴメンナサイ。 名刺をもらって相手をしげしげ見つめて、えっ!! あっ!そう! 思い出せない !!!!

 、

 何せ1970年から2014年までに私に付き合ってくださった学生さん1200人余と(私は友達だと思っていますが)ページをいろいろ思い出しての2時間半(14:00-16:30)楽しい時間は直ぐに終演になってしまいました。まだまだ話せなかった卒業生のいることを知っていて申し訳ない、と感じて全体写真のコーナーに入ってしまいました。声掛けよう、話しよう、と感じて遠巻きに私を見ていた卒業生がいたことを遠目で見て知っていたのですが・・・・・・(次の機会にはぜひ声をかけてください)。

 大きな花束をもらいました。色とりどりの沢山の花でまとめられていました。長さが1mもある花束。(準備していただいた実行委員の方に深く感謝します。持って帰るのは大変でした

嬉しい沢山の卒業生の心の籠った贈り物でした(謝謝)。 

 

 名刺を作り持参しました。手製の名刺。裏には直筆の励ましの言葉と名前の印。作った目的は、私のブログを知ってもらうこととブログの感想が書けることを、卒業生の皆さんに分かってもらうこと。退職後の日々の生活で私が見て感じたこと、退職後に関係を続けて持ってきているドイツ機関誌からドイツの環境施策(ドイツの1州ですが)を知ってもらうことにあります。余り代わり映えしない(毎日書き込めないので)情報しかありませんが、長い目で付き合ってやってください。勝野がどんなことをやっているか、の一端でも知ってもらえたらと思っています。

 

その2を楽しみに  次へ  

 

里の風景に春を求めて

 町田市にある広く大きな緑地、そのうちの一つ小山田緑地に春を求めて出かけました。小山田緑地は計画面積146ha、内44haが二次林や広場を中心として公開利用されています。

 丘陵部や斜面樹林はクヌギ・コナラを中心とした雑木林、シラカシ、アラカシ、スギ、ヒノキを中心とした常緑樹が混ざった里山は、この時期、落葉樹の芽吹きが大変美しく、色々な若葉の色が楽しめます。若草色、萌黄色、鶯色、深緑色、暗緑色それらが混然一体として丘の緑を構成しています。常緑広葉樹の萌芽時は春先、秋の落ち葉の如く古い葉を落とし散ってきます。クヌギやコナラの花も花穂を散らし地上に降ってきます。木の上層部では花や葉が競っていますが、地上でも林床に陽射しが届くうちに、花を咲かせ実を付けようと色々な植物が生を謳歌しています。多くの種があるスミレ類は、夫々の形で葉を展開し個別の花や葉の色・形を見せています。

 谷筋の低地、以前は湿地や田畑が占めていたのでしょうが、公園になってからは色々な広場として、スポーツやレクリエーションの場所として青々とした緑の草地が広がっています。

綺麗に刈られた草地の管理は大変だろうと思いながら里山の林を巡り散策しました。今回の来訪目的の第一は、里山に極めて珍しく希少になってしまっているコケリンドウ、フデリンドウ(Gentiana squarrosa, G. Zollingeri)の生育・開花がみられるとの情報を得てのものでした。

 両種は陽射しが良く当たり、水はけのよいローム層の土から成る東から西向きの緩斜面や平地に見られました。他の草木が茂る前、生育する空間を他の草種に占拠される前に開花受精し種を付けて増えることが先決です。コケリンドウは草丈も極めて低く、足で踏みつけそうになるくらいです。共に二年生の草本であり淡い空色、薄青色の可憐な花を咲かせます。ここでは明るい緩斜面地に一杯花を咲かせ、種が落ちて発芽・開花したと思われる株が、崩れ斜面の下にも成育開花していました。小さくても「生」を精一杯表現し生きてる姿に感激しました。スミレ類もスミレ、タチツボスミレ、マルバスミレ、ナガバノスミレサイシンなどが競って花を咲かせていました。そんな可憐な花を見つけながら歩くのは楽しいものです。

林床を刈り取り管理するか、しないかで出現植物は大きく変わります。日当たり(日照)がいかに重要な要件であるか、根茎や種がその時を長く待って耐えていることが想像されますし、人為的に行うことが二次林やその林床植物を保つうえで大切なことが良く分かります。もう花を終えてしまったり、まだ出ていなかった野生の蘭類(シュンランやエビネランはじめキンラン、ギンランなど)も同じことでしょう。時期を置かずに晴れた暖かい日に再度、林やその縁を歩いてみたいと思います。 あなたも日がな歩いてみては・・・・

コケリンドウの花

 

エゴン・シーレ展

 上野公園内にある東京都美術館で開催されていたエゴン・シーレ展(2023.1.26-4.9)を見に行きました。期しくも以前開催されたグスタフ・クリムト展と同じ美術館でした。「ウイーンが生んだ若き天才」と題された展覧会で、会場は14のテーマでそれぞれ区切られ、そのテーマに合わせてシーレと同時期に活躍したウイーンの画家たちの作品も含めての展覧会でした。

 会場はテーマに合わせて14室(14章)に分けられ展示されていました。14章は以下の通りです。①エゴン・シーレ;ウイーンが生んだ若き天才、②ウイーン1900 グスタフ・クリムトとリングシュトラーセ(

環状道路)、③ウイーン分離派の結成、④クリムトとウイーンの風景画、⑤コロマン・モーザー 万能の芸術家、⑥リヒャルト・ゲルストル 表現主義の先駆者、⑦エゴン・シーレ アイデンティティーの探求、⑧エゴン・シーレ 女性像、⑨エゴン・シーレ 風景画、➉オスカー・ココシュカ 野生の王、⑪エゴン・シーレと新芸術集団の仲間たち、⑫ウイーンのサロン文化とパトロン、⑬エゴン・シーレ 裸体、⑭エゴン・シーレ 新たな表現、早すぎる死

の14室でした。

  シーレは若くして亡くなっていますが(28歳)、家庭的には落ち着いた普通の家庭の出のように感じました(父方は根っからの鉄道マン家庭、母方も中産階級の家庭のようです)。20世紀の初頭ウイーンを中心に絵の勉強(ウイーン美術アカデミー;同時期にドイツのA・ヒットラーも受験し不合格)しますが失望し、後に職工のグスタフ・クリムト(世界的に有名な画家)の弟子として絵画に没頭しています。24歳で結婚しますが、折からの世界第一次大戦に出征、帰国後、奥さんが子供を身ごもったまま、当時世界で大流行したスペイン風邪により死去、彼も同じスペイン風邪に罹り1か月後に亡くなっています(享年28歳)。2020年、100年後のこの時、計らずも同じヴィールスの病が流行する時に、この展覧会は何か因縁を感じました。

 

 20世紀初頭、10代後半で仲間と共に風景や草花を描き、20歳代には次第に自身のアイデンティティーを探し人物を通しての表現になり(ホオズキの実のある自画像;1912)その後、女性像(裸婦)を多く書くようになっています。これは人間の内面を、より明確に表すため衣服をまとわず素の人間(裸の人間像)を描くことを目指したのではと感じました。彼の描くデッサンにおけるモデルの身体の線に画家としてのセンスと技量を見る事が出来ました。

 若い頃、自分の画廊に少女や女の人を招き、描いていたことが周囲から好奇の目で見られアトリエを移さざるを得なくなったことも絵の表現に影響したのかもしれません。

 裸の人間を描くことは、体の線を的確に表さなければならない点で技量が素直に表れることだと思います。その点で、シーレの裸婦の素描には浮世絵に通じる「線」の重要性が見て取れます。1917年制作の「横たわる女」は大変エロティックな構図、複雑な身体や衣服の線、衣服の青色に強い印象を受けました。2019.4.24-8.5に開催されたクリムト・シーレ展で、有名なクリムトの「接吻」を見た時を思い出し、ウイーンのレオポルド美術館へ行った気になりました。

 

 

 

海外雑誌での研究 19-1

 時のたつのは本当に早いですね。毎年季刊雑誌のドイツ・「NRW州の自然;Natur in NRW」2023.1号(春)がやってきました。本号 19-1では、その目次(表題、著者)を紹介します。19-2ではその概要について紹介します。 

 

1)Zwei Jahre LIFE-Projekt Wiesenvoegel NRW  ;  Projektbausteine und erste Umsetzungen    著者:Ina Bruening他1名、連絡先:ina.bruening@lanuv.nrw.de

ノルトランウエストワーレン州における湿地鳥類 ;Lifeプロジェクト2年、プロジェクトの基盤と最初の変化

 NRW州の鳥類保護地区8か所における2年間の活動状況、生息地改善策などを報告しています。

2)Eine neue Muendung fuer die Emscher ; Ein wesentlicher Baustein zur Entwicklung der Emscher   著者:Mechthild Semrau他2名、連絡先:  semrau.mechthild@eglv.de

 エムシャー川の新たな合流域創出 ;エムシャー川発展に関する重要な要素

 エムシャー川のライン合流域における河口地区改善プランについての報告です。

3)Mikroplastik in gestauten Gewaessern in Nordrhein-Westfahlen ;  Ergebnisse aus dem Projekt MikroPlaTaS 

著者:Katrin Wendt-Potthoff他2名、連絡先:katrin.wendt-pottfoff@ufz.de

 NRW州における河川堰止め地のマイクロプラスティック ;マイクロプラスティックプロジェクトの結果 

 海に流れ込む人工物を河川の堰、ダムにより堆積、沈下させるマイクロプラスティックプロジェクトについての報告です。

 

4)Botanischer Gaerten als Arche Noah  ; Ex-situ-Artenschutz am Beispiel des Zarten   Gauchheils   著者:  Jennifer Michel  連絡先:  jennifer.michel@uliege.de

 Arche Noahとしての植物園 ; Zarten Gauchheils (Lysimachia tenella) を事例        としたEx-situでの種保護(In-situ;自然生育地、Ex-situ;栽培保護地・植物園)

 ドイツ(NRW州においても)での稀少種となっているZarten Gauchheils (Lysimachia  tenella)の自然生育       地、また植物園でも栽培されている本種の現地植え戻し指針についての報告

 ★Lysimachia はさくらそう科の植物、代表種はヌマトラノオ、オカトラノオ、ノジトラノオ、サワトラノオ、ハマボッス、コナスビ等が属しています。種保護に対して植物園が担う役割として遺伝子操作に因る種保護があるか、の記事です。

5)Flora im oestlichen Sauerland   Sauerland ; Was hat sich im 15 Jahrenan der Flora im Untersuchungsgebiet 

 著者: Richard Goette    連絡先:   richard-goette@t-online.de

 ザウアーランド東部の植物種 ;調査地区における15年間でどのように変化したか

 1999年以前と以後においてサールランド地方の植生調査(15年)から見た自生種・侵入種の変化についてのべています。

 

キャンパスは今


    春爛漫、2023年の卒業式も終わり、キャンパスは静かな一時に包まれています。折から例年より10日位早い桜前線の到来、日本大学湘南キャンパスも多くの桜・ソメイヨシノに囲まれ満開で輝いていました。 大変残念ですが、この満開の桜、間もなく訪れる新年度の入学式迄持たないでしょう。桜吹雪が新入学生を迎えることも難しい陽気です。

 過日、人気の少なくなったキャンパスを訪れました。造園学研究室が入っている12号館(組み写真・右)の光景、今年も変わらず春の陽光に当たって輝いていました。藤沢高校への通学路から見上げた本館も桜の古木に負けず堂々とした姿(組み写真・中)。

  かって研究室があった7号館から振り返って本館を見上げると、ここにも桜の古木が満開になっていました(組み写真・左)。

 12号館と本館の繋がり部分から、学部の玄関口を眺めると、その昔、キャンパスの木造校舎があった時から、キャンパスの変遷を見続けてきたオオシマザクラが今年もしっかりと真っ白な花を付け輝いていました。隣接して聳えるクスノキの大木、湘南キャンパスを象徴する古木です(下の写真)。

 間もなく入学する学生、これからも過ごす在校生達を、この古木はしっかりと見届けることでしょう。

 

 

地球温暖化と生活

   昔、と言っても自分の幼少時から青年時代の事(大学に入る前までの昭和38年以前)。岐阜県美濃の西濃地方は、背後に日本海に面する福井県と隣接し、冬になると雪降りが多く、山間地を越えてくる雪雲は山裾に多くの雪をもたらす。雪が降る前になると「雪起こし」と言われる強風が吹きつける。特に天下分け目の合戦で有名や関ケ原は繋がる山間地が切れる所で毎年積雪は多く、太平洋側では珍しく時に1m以上の積雪となり、日本の大動脈の集まるところで交通に支障を与える。私の故郷は、その関ケ原の隣、池田山地の麓である。

 昔からの書院造の家で南側に縁側がある作りで、縁側は障子と雨戸で外と接している。掘り炬燵に入って、ガラスの入った障子戸が縁側にあり、外を見ることができる。白濁した空から雪が舞い白いカーテンとなって散り、白い雪が逆光で鼠色に見える。

軒下は庇が短いので40-50cm位しかなく、雪は縁側のすぐ傍に積もる。沓脱石の上まで雪が積もり、屋根から落ちる落雪と重なって雪解けの最後まで残っている。客間に掘られた掘り炬燵(畳下を掘り下げた掘り炬燵;炭火が暖の元)は客人が来ない時は家族の団欒の場所、皆が暖を取る場所であった。

 

 子供時代も冬になると、この寒さを防ぐため、やや厚手の股引を穿くのが常であった。寝るときの暖を取るのは、陶器(素焼き)黒塗りの行火(火燵)。縦横高さ30cmほどの行火は四方に穴(窓)が空けられており、その1つは火種を入れるために大きく開いている。そこから火種を入れた火鉢を入れる。素焼きの火燵は古い和紙が張り合わせてあり罅割れを防いでいる。冬の寝床は薄い煎餅布団の真ん中が盛り上がった姿であった。どこの家庭も冬はそんな光景であった。

 

 冬の寒さが厳しかった田舎の生活では、股引は欠かせなかった。ズボンの下がモコモコで格好悪くても寒さには勝てない。素材はネル、色は国防色(黄土色)、厚地で洗濯後乾くのに時間がかかる。寝小便でもしようものなら。

 

ネルの股引は懐かしくなってしまった。冬の寒さは昔と違うのだろうか。

 

 父親の着替え姿を子供ながらに見ていたことを思い出す。父は夏のズボンの下に木綿の薄いズボン下(ステテコ)を穿いていた。汗を吸い取る下着で木綿地の薄いものである。冬は股引が主流であるため、夏の下着であった。それが、時代と季節を替えて冬の高齢者の下着になっている。私の下着は以前から夏でも冬でも変わらずステテコである。

 冬の寒さ、冷え込みの有り様が昔と大きく違ってきているのだろうか。

 

 私も老年の仲間・後期高齢者(75歳以上)で、冬の寒さには一段と敏感なはずであるが、昔、父が使っていたネルの股引は久しく使っていない。死語になりつつある。

 

  近年、衣類の内容も変わって来ている。機能は変わらずも素材や呼び名が変わったり、新しい素材も登場している。寒い冬の下着として、ヒートテックなるものが登場。冬の下着がともすると、モコモコ感が拭えず着用を控える人も少なくない。そのため冬でも暖かい素材として厚地のヒートテックのズボン下が登場。素肌にピッタリ張り付くような下着で保温性が高い。何時頃からか冬の下着として広く用いられてきている。

 

 そんなヒートテックの下着があるものの、今年の冬は使用するほどの寒さが無かった。何時寒さが来ても大丈夫なように下着の抽斗に入っていた。でも、今年の冬はそれを使うほど寒さが際立っていなかったようである。つまり、ステテコで冬を越えてしまった。

  これも、地球温暖化による冬の寒さの鈍化と関係しているのだろうか。