水と緑と自然、それは「にわ」

都市や農村における緑地の在り方、自然環境の資源とその保全、「にわ」の設計と維持・管理

日記と写真 (記録すること)

 コロナ禍の中、もう1年以上になります。昨年の春は何とも味気ない、辛い記録に残る春になっていました。卒業式や入学式が、次第に猛威を振るうコロナに負けてどこかへ吹き飛ばされてしまいました。コブシや桜は毎年同じように綺麗な花を咲き誇りましたが、社会はそれどころか病禍、風評を嘲笑うかのように、さらに勢いを増して、遂には非常事態宣言を出す事態にまで行ってしまいました。

 あれから丸1年、コロナ禍が落ち着いたわけではありません。でも最悪の状態から少しだけ抜け出したようにも見えます。全てではないですが卒業式も、入学式も実施できるようになってきています。当該学年の生徒や学生諸君、両親そして家族のだれもが思い出づくりで人生の節目の栄えある式典開催を心待ちにしています。

 

 非常事態宣言下で外出自粛や三蜜禁止、マスク着用など取り決めが長く続いた月日、日常生活のあり様も大きく変わってきました。テレワークはじめ自宅に居る時間が長くなり、家族で顔を合わせ会話する機会が多くなったこともコロナ禍によるものでしょう。「絆の大切さと理解」を再認識させられる年です。

 わたしもご多分に漏れず、それでなくても持て余し気味の日常時間をどう過ごすか、大きなテーマでした。定年後自由時間が出来、いろいろやることを考えていた矢先のコロナ大流行禍でした。

 結婚後50年近くに亘る日記と30年近くに亘るネガ写真のアルバム整理は、まるでこれを予測していたかのように、十分な時間を提供してくれています。現役時代(30~65歳)、日々の生活に追われて殆ど整理できていなかったことを、いまジックリ時間のある中で振り返えられるのは、我が人生の中の最終仕事かと感じています。

 

 それにしても、記録の重要性については、現役時代学生に対しても常々声を大にして訴えてきたことですが、我が事でも同様に意義あることとなっています。1973年に海外留学し翌年結婚、それ以来50年近くやや大きめの手帳日記に日々の出来事や思いを綴ってきた記録が、写真整理の中で役立つとは、思ってもみなかったことです。

 また、今でこそデジカメや動画映像が全盛時代で、個々の写真に対するコメントは全く入る余地のない代物で、時代ですが、ネガ写真は「アルバム」という世界の中で写した、写された人の状況がよく表れています。

 

 人は歳と共に多くの事を忘れてしまいます。「記憶」し「思い出」として理解する唯一の霊長類でもある人間であっても、誰も大差なく忘れ去ってしまいます。「記録に残しておくこと」、「伝える」ことの重要性が、あの10年前の自然災害を通して強く訴えられてきています。誰のために残すかは別として、残すことに思いが重なります。

 

 2020年は日本大学造園学研究室創設50年の記念の年でした。東京オリンピックも重なり素晴しい年となるはずでしたが、コロナ禍により総て中止、延期、先延ばしという状況になってしまっています。

 50年記念誌を発行する段になり、先導していただいた先生方諸先輩はじめ多くの研究室卒業生や在校生の皆さんのお蔭で充実した記念誌を作り上げる事が出来ています。これを支えたのも、関係してくださった皆さんの記録と記憶による代物と思い、感謝する次第です。記念誌の中で、この記録と記憶の一端が皆さんの中で蘇り、息づくことがあれば、記念誌発行に関係した一人として感慨ひとしおです。